三分の一

舞台の感想など、ほぼ映像から、

ミュージカル黒執事〜Noah's Ark Circus〜

ここ1月くらい唐突にミュージカル黒執事にのめり込んでいて(最初はチャイナ服のあら・・・ヤンさんが観たい、という理由です。綺麗でした、本当にすみませんでした)、過去のDVDをまとめ買い からの めちゃくちゃ面白い・・・原作も読まなきゃ・・・・ からの 原作もめちゃくちゃ面白い・・なにこれ・・・もう一回DVD見なきゃ・・・のループです。

ほかの舞台も含め、こみ上げるものはツイッターにその都度、断末魔のようにつぶやいているけど、まとまらないアウトプットだと脳内でその断片が溜まって腐りそうなので、ある程度まとめた感想を、と思いここに書いてます。

基本的には壁打ちで、文字制限のないツイッター、と思っているので、数年後のの私が見て、面白いこと言ってるな〜と思うことができればいいかな〜

 

まあ相変わらずセバスチャンは、(突然の本文)普通に、いる、エッセ、としか言いようのない完璧なセバスチャンでした。立っても座っても歩いてもセバスチャン。でも個人的に(失礼ですけども)表情豊かになったセバスチャンに対して、古川さんって笑うんだ?!不愉快な顔するんだ!?という驚きがすごかった・・セバスチャンとしては、あ〜ほんとセバスチャンってこういう顔するよね、と納得しかなかったんだけど、古川さんのお顔が綺麗すぎるじゃないですか?だから陶器製かなんかみたいで、表情筋を感じないので。

 

そして、今回からのシエル役の内川れおくん、すごすぎじゃない?!

早々に言葉に出来ずアウトプット失敗してるけど、ほんと、彼は天から舞台に降ってきたんだろうか・・?天使・・?

 

れおくん、本当に、ほっそりして、女の子みたいな可愛い顔で、雰囲気も柔らかく、いかにもか弱く可愛らしい仕草や見た目なんですよ。

これまでのシエルって、強くて大人っぽいイメージが強かったと思うんですけど、今回は、シエルも普通の子供なんだなーと肌で感じました。

それだけでウルっとしました。

特に喘息で寝込むシーン、セバスチャンやソーマ、アグニという大人(しかもデカイ)に囲まれて、裸足を寒そうに擦り合わせてるのはね・・いかにもか弱くて、胸に迫りました。そして、シエルって孤独だな〜と。守られてるけど、目線の合う人間がいないなんて、なんて孤独なんだろうと感じました。

 

でも、そんな子が「ファントムハイヴ伯爵」となった時には一変して、女王の番犬として、伯爵家当主として、あの苛烈な過去を乗り越えた人間として、の凄みと迫力が、滲みでてくるんですよ、内側からの力が抑えきれず外に出てくる感じで。

大して声を荒げるわけでも、なにか強いアクションをとるわけでもないんですけど、静かに、でも彼の深いところには、悪魔と契約を結ばせるほどの何かを持ってることを分からせるだけの圧がきちんとある。

 

この新しいシエル像と、その上でのセバスチャンとの関係性が今回本当に素晴らしかった。

 

今回からはシエルの過去(セバスチャンと出会った日まで分)が一層明らかになった分、前述もしましたが、特にシエルの人間的な部分、人間の「子供」という側面が増えて、前回までと全然違うシエル像だったと思うんですね。


シエルというキャラクターの魅力のひとつって、可愛くて誰からも愛される子供、っていう部分と、同時に悪魔の力によって、自分を超えた力を得、結果破滅していく「ファントムハイヴ伯爵」がひとりの中にある、っていう悲劇性にあると思うんですね。

もともと「今の」シエルは精神的にも肉体的にも弱い子どもで、今回、過去に喘息だったこと、葬儀屋からシエルに対しての過大な力を持つことへの警告、などからよりそんな一面が明確になっていくわけなんですが、この本来の、可愛くて、弱い子供像に、れおくんが中身も姿もぴったりだったんですよね。


それで、その子どもが分不相応な力を得て、「悪の貴族」、女王のためならなんでもする冷血な伯爵、になるわけですけど、シエルだって仕事以外は普通に人間的な感情はあるんですよね、リジーに対しても、マダムレッドに対してもそうだったように、普通に人を信じたり、いたわる心はある。

だけど、ファントムハイヴ伯爵としては、人に裏切られ人の汚い部分を見て、かつ、自分自身でも人を裏切り、不信に陥って、そういう悲しみや自己嫌悪も抱えている。

そして、最後、これは原作でもすごく劇的にかつかなり慎重に描かれてたと思うんですけど、廃墟になっている孤児院の前で、人間とは醜い生き物で、かつ自分もそうだ、と、「それが人間だ!!」と、セバスチャン相手に、静かに、強く叫ぶところシーンは鳥肌たちましたし、圧倒されて絶句しました、本当に生の舞台で観られなかったことが悔しくてたまらないです、すごい空気だったんだろうな。

12歳の子が、大人であるセバスチャンを相手に正面切って人間とは何か、を語る。かつ、その圧で千人規模の人間を黙らせる。あの瞬間、れおくんは完璧にファントムハイヴ伯爵でした。


セバスチャンとシエルの関係性って、この二人は基本的に力を持っているのはセバスチャンであり、今は仮に、主人であるシエルにしたがってるだけ、というわけですよね。

しかし一方で、契約がある間はセバスチャンはシエルのいうがまま、という絶妙に持ちつ持たれつな力を関係が前提、というか個人的に黒執事でも特に好きなんですが、舞台上では一層、大人と子供のキャストなわけで、ともすればセバスチャンが全て主導でシエルはそれに従う、という関係性に(見た感じでも)陥りそうなんですけど、シエルの恐ろしい迫力のおかげで、普段どんなにお姫様だっこされてようが、あくまでも主人はシエルで、セバスチャンはその駒、って言うのが一層見えてすごく良かったです。

しかも、完璧でなんでもこなせる執事にふさわしいだけの主人でした。小さくて可愛いけど、その内側に確かにセバスチャンを従わせる憎悪や欲望が感じられるシエルでした。

 

ただの主従関係にも、大人と子供の、保護・被保護の関係ではなくて、対等に悪口言い合い(原作でもセバスチャンを最初から完璧な執事ではなく、人間一年生として描いていただきありがとうございます。カンパニアのそのシーン楽しみすぎる)、それでも離れられない二人だったの、感謝しかないです、完璧にバディだよ・・

 

これだけ思い入れがえるので、願わくば古川さんとれおくん永遠にセバスチャンとシエルで居て欲しいですが、

そうはいかない一期一会が舞台ですよね。

でも素直にこんなに忘れられないシエルとセバスチャンをありがとう、という気持ち。

 

思い返せばマダムレッドもジョーカーも(そしてケルヴィンも)、どこで道を踏み外したかを思えばシエルかヴィンセントなんですよね。

そしてシエルの悲劇の始まりも突き詰めればファントムハイヴ家に生まれた、ということだと思います。突き詰めすぎですけど。

 

マダムレッドもジョーカーも、もしシエルに出会わなければ平凡に暮らしていたのかもしれないのに、そんな人間を一瞬で狂わせるのがファントムハイヴの性で、かつ、シエルもファントムハイヴにうまれたがために、生きてるだけで誰かの人生を狂わせ、その始末までしなくてはいけないなんて、と思いはじめるとその果てしなさにぼーっとした気持ち。

 

シエルどうなるんだろう。幸せになってほしいけど、無理だろうなぁ。

 

こんなに信頼がおける舞台なので、絶対つづいて欲しいし自分をなだめるためにも、まああるだでしょ、キャストのスケジュール待ちでしよ?待つ待つ、と思ってるんですけど・・

つぎは寄宿舎編かな・・ギナジウムものって人気あると思うんですけど、どうだろう。

 

シエルとセバスチャンへの熱い思いだけでこんなに長くなるとは。そのほかの雑感はまだ書きます。